発達障害留学日誌

在典邦人男性挫折日記

とまどうペリカン

 8月28日のこと。
 僕の留学するストックホルム大学で、留学生の懇親会があった。
 「スピードフレンディング」という名の企画で、留学生一同を食堂に集めて、そこで歓談して、お友達になりましょう、という内容だ。
 僕はこういった企画がひどく苦手なのだが、この手のものを忌避した結果、孤独に陥ってしまったという京大での反省を活かして、参加することにした。そして挫折を経験した。国内でも国外でも、参加しようとも参加せずとも、駄目な奴はやはり駄目なのだ。
 寮を出て大学の食堂に行ってみれば、留学生らしき若者たちでごった返していた。こんなにいるのかと驚きながら、運営係の女性の指示に従って席に着く。食堂に連なる長机には、それぞれ向かい合うように丸椅子が並べられている。鼻が高く大柄な白人男性や、スカーフを頭にまとったムスリムらしき女性など、様々な国籍の留学生8人と同席する。ここで違和感を覚える。奇数席なのだ。僕は5つ並んだ椅子の真ん中に座っていて、それを境界とするかのように、8人は二つに分かれてしまった。僕だけがノーマンズランドにぽつんと置かれている状況だ。
 f:id:euauo:20170909063454p:plain

 どちらに入ることも出来ず、微笑を浮かべながら佇む僕。右斜め前にいる陽気そうな白人男性は、他の留学生と握手している。彼から見て時計回りに、3人と朗らかな笑みを浮かべながら握手を交わす。次は僕かな、と期待したが、ここで彼の握手は打ち止めだった。なるほど、どうやら僕は彼らの会話グループの一員ではないらしい。苦く微笑みながら、僕は左を向いた。左の集団は白人男性2人に、東洋人女性2人の組み合わせだ。貧弱日本人男性の入る隙がない雰囲気が、痛いように伝わってきた。女性たちよ、より優れた男から搾取されてくれ。歪んだマチョイズムと自己憐憫が、体内でぬたりと頭をもたげた。どうすることも出来ないまま、僕は手を組んで下を向く。僕の右手を握るのは僕の左手しかなくて、僕と目が合うのは机の木目だけだった。
 同席する留学生は何度かシャッフルされるのだが、向かい合う2列のうち、片方の列の学生が移動して、もう片方の列は固定される仕組みだった。僕は固定される列にいたので、ただひたすらノーマンズランドに立ち尽くし、会話の集団を分断する役目を担った。一向に状況が好転しないので、なんだかこれが大事な使命のようにさえ思えてきた。
 3度目のシャッフルが行われた後だろうか、右隣のイタリア人女性が、気遣ってか話しかけてくれた。右の会話グループでの話題は、スウェーデンに来た目的であり、彼女は僕になぜストックホルム大学に来たのか訊いた。なぜ留学したのか。留年のお茶を濁すためだとか、TOEFLのスコアの都合で行ける大学が限られていたとか、後ろ向きな理由なら色々と思い浮かぶが、ここで言うには不相応だ。当たり障りがなく、かつ英語で伝えることが出来る簡単な理由を捻り出さなければならない。空回りの挙句、熱暴走を起こした灰色の脳細胞が弾き出した一語が、僕の口から飛び出る。
 「う、うぉーたー」
 水である。人の目を見られない、英語が聞き取れないし話せない、三重苦を背負った東洋のヘレン・ケラーの誕生である。一語では意味が通じないことを瞬時に覚った和製ケラーは、拙い英語で補足する。スウェーデンでは、水道水を安全に飲むことが出来る。だから私はスウェーデンに来たのだ、と。水道水が飲めることぐらいしか、この国に関して前向きな印象を持っていなかったのだ。
 当然、それを聞いた留学生たちは怪訝な顔をする。しかしケラーは止まらない。溺れる者は藁をも掴む。藁どころか水をも掴む。うぉーたーである。もう用意できる理由は思いつかない。幾らか整えた語順で、ゆっくりと、この国では水道水が飲めるのだと繰り返す。水を掴んで離さないケラーは、そのまま水底へ沈んでいくのだ。薄れゆく意識の中、正面のフランス人男性が、何を言っているんだ、この東洋人は、と見下したような顔をしていたのを俺は忘れない。もうフランスなんて嫌いだ。くたばれヨーロッパ。
 そうこうしているうちに再びシャッフルの時間に入ったので、移動のどさくさに紛れて帰路についた。

 おしまい